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2018年5月14日~同年12月31日 礼拝説教要旨

○2018年12月30日
 金 南錫牧師「わたしの魂よ、主をたたえよ」(詩編103編1-5節)
 
 この詩編は「わたしの魂よ、主をたたえよ」と始まっています。詩人は自分の魂に向かって、そして自分の内にあるものはこぞって「聖なる御名をたたえよ」と命じています。
 詩というジャンルは、言葉の数を少なくしていくのですが、この詩人は、2節の始まりに「わたしの魂よ、主をたたえよ」と繰り返し、そして、最後に「わたしの魂よ、主をたたえよ」(22節)でこの詩を結んでいます。それほどこの「主をたたえる」ことが、詩人のすべてであったということです。
 続く2節の後半では「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」とあります。口語訳聖書では、「そのすべての恵みをとめよ」とあります。
 年をとると、忘れることが多くなります。しかし、私たちは、忘れてはならないことがあります。それは、主の恵み、御計らいです。その主の恵みをいい加減にするのではなく、繰り返し、思い出すことによって、私たちの信仰生活は豊かになります。
 詩人は3節から自分に賜った主の御計らいについて語り始めます。「主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し」(3節)、そして、主は慈しみと憐れみを豊かに注いで下さり、これからも命ある限り、良いものに満ち足らせてくださるのです。鷲のような若さを、日々新たに与えてくださるのです(4-5節)。
 皆さん、今年一年間を振り返ってみると、どういう歩みだったでしょうか。私たちも主の御計らい、恵みを一つ一つ思い出して、主をほめたたえたいと思います。


○2018年12月23日
 金 南錫牧師「飼い葉桶の中のメシア」(ルカによる福音書2章1-14節)

 クリスマスは、飼い葉桶にお生まれになったイエス様を通して、平和をいただくときです。
 当時、イスラエルを支配していたローマ帝国のアウグストゥスは、自分が支配していた国の人たちに、住民登録をせよという命令を出しました。人々は皆、登録するために、それぞれ自分の町へ旅立ちました。ヨセフとマリアはガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムという町へ上って行きました。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは初めての子を産みましたが、宿屋には彼らの泊まる場所がなかったのです。
 マリアが出産したのは洞窟のような家畜小屋でした。そこは冷たく、暗く、柔らかなベッドもないので、家畜のえさ箱である飼い葉桶に幼な子を寝かせました。このとき、マリアは神様のご命令によって、神の御子を産んだのに、なぜこんなところで産まなければならないのですか、とつぶやくことが許される状況にいました。
 「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めていて、思い巡らしていた」とあります(19節)。マリアは、受け入れ難いような状況を受け入れ、すべてを心に納めていたのです。なぜそんなことが出来たのでしょうか。それは、神の御子が飼い葉桶に寝ておられるからです。
 その神の御子の御姿を見たとき、マリアの心の中から、一切の不平や不満、つぶやきは消え去っていったのです。飼い葉桶の主イエスの周りには平和が満ちています。
 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(10節)。ここに「今日」と書いてあります。今日、私たちは飼い葉桶の中の主メシアを、心の中にお迎えし、クリスマスの平和に満たしていただきましょう。


○2018年12月16日
 金 南錫牧師「マリアの賛歌」(ルカによる福音書1章46-56節)

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(47節)。 なぜマリアは主をあがめ、神を喜びたたえているのでしょうか。それは、身分の低い、このはしためにも、主が目を留めてくださったからです(48節)。マリアはガリラヤのナザレの村に住む一人の少女でした。彼女に突然天使が現れて「あなたは聖霊によって身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」と言われたのです(31節)。
 これは、彼女にとって、到底担うことができないほどの重荷でした。ですから、彼女は「どうしてそんなことがあり得ましょうか」と答えたのです(34節)。しかし、祈りの中で「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」という答えに導かれたのです。
 このマリアの言葉に耳を傾けると、私たちは落ち着いて平安になれます。この言葉を理解しようとするのではなく、ただ単純にこの言葉の語りかけることに耳を傾けるのです。マリアは祈る中で、信じない者にではなく、信じる者となって生きる一歩を踏み出しました。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。…」。
 マリアと同じように思い悩み、苦しめられている人々は、マリアに共感し、彼女が神を信じ勇気と希望を持って一歩を踏み出した、そのことに励まされたのでしょう。そして、マリアの賛歌には、そのような人々の思いが込められ、自らのこととして現在も語り継がれているのではないでしょうか。


○2018年12月9日(日)
 金 南錫牧師「勇気を出せ」(使徒言行録22章30節-23章11節)

 パウロは、自分の同胞であるユダヤ人たちに、キリストの福音を伝えようとしました。そのために、自分自身のこと、即ち、どうやってクリスチャンになったのか、回心のことを彼らに語りました。しかし、ユダヤ人たちはパウロの話に耳を傾けようとしませんでした。しかもパウロの話を聞いたユダヤ人たちは、一斉に、「こんな男は、地上から除いてしまえ」(22節)と叫び出したのです。そのために、パウロは、暴動を恐れたローマの兵隊によって、その場から運び出される始末でした。
 本日の聖書箇所は、なぜユダヤ人がパウロを訴えているのか、その理由を知りたいということで、ローマの千人隊長はユダヤ人の最高法院を召集させました。そして、彼らの前にパウロを立たせたのです。23章1節に「兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」とあります。これは、神との正しい交わりのうちに生きてきたということを言っているのです。
 ところが、パウロが死者の復活と希望を取り上げることで(6節)、論争が生じました。最高法院を二分していたサドカイ派とファリサイ派の争いのことで、最高法院は収拾がつかなくなってしまったのです。その結果、千人隊長がパウロをそこからむりやり引っ張り出して、兵営に連れて行くように命じたのです(10節)。その夜、主はパウロのそばに立って言われました。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(11節)。
 主イエスの言葉は目に見えませんが、私たちに大きな勇気を与えてくださいます。「勇気を出せ」。主イエスがこうおっしゃる時、生きる勇気を与えられるのです。そして、その主イエスに信頼していく中、私たちは勇気ある日々を歩ませていただくのです。


○2018年12月2日(日)
 金 南錫牧師「異邦人のために」(使徒言行録第22章17-29節)

 本日の聖書箇所は、パウロが、異邦人伝道へと遣わされた経緯について証をするところから始まっています。
 パウロは回心するまで、エルサレムでクリスチャンを迫害していました。ですから、クリスチャンとなった以上、エルサレムで自分はどうやってクリスチャンになったのかと公に告白し、彼らにキリストを証するつもりでした。
 ところが、主から「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである」(18節)。と言われました。これに対してパウロは「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています」(19節)と反論しました。パウロは、キリスト教に対する迫害者であった自分だからこそ、エルサレムのユダヤ人にキリストを証しする務めがあるという思いがあったのです。
 ところが、主イエスの思いはパウロの思いとは異なっていました。21節に「すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」とあるとおりです。主イエスはパウロを「異邦人のために遣わす」。
 パウロは、主イエスを信じるということは、一番考えられないような人でした。しかし、パウロが思いもしないときに、イエス・キリストとの出会いが与えられます。そして、教会の迫害者から180度転換して、福音の伝道者にされました。
 彼は単に自分のために生きるということを超えて、異邦人のために福音を伝える伝道者として、主の道を歩むようにと導かれて行きます。私たちも共に主の道を歩んで行けるよう、祈り願います。


○2018年11月25日(日)
 金 南錫牧師「キリストの証人」(使徒言行録21章37節-22章16節)

 「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください」(22:1)。
 普通「弁明」とは、他人から訴えられている自分が無実であるという自己弁護のための発言です。しかし、本日の聖書箇所を読んでみると、パウロは自分のために弁明するのではないのです。むしろ、キリストの福音を証しするために、弁明していることがわかります。
 パウロはまず自分の今までの歩みを語りますが、それはいかにキリストが自分を変えてくださったか、ということを明らかにするためでした。そのためにパウロは、キリストに出会って変えられる前の自分は、目の前にいるユダヤの人々と同じだったということを説明しているのです。
 4節に「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです」とあります。当時、キリスト教は「この道」と呼ばれました。パウロは、「この道に従う」クリスチャンを迫害することこそ、神の教えにかなうことだと信じ込んでいたのです。
 しかし、人生の道であるキリストを理解していませんでした。そのパウロがダマスコに向かう途中、天からの強い光の中でキリストに出会います。
 この出会いがサウロの生涯を変えました。以前は迫害に命をかけた人物が、今は「キリストのために」命をかけるようになりました。それは、パウロが初めから求めていた価値観ではありませんでした。主イエスが、神様がパウロの前に現れて、与えて下さったものです。私たちの人生の歩みの中にも、神様が備えてくださる道があります。その神の導きを霊の目で見るときに、私たちの人生は変わります。


○2018年11月18日(日)
 金 南錫牧師「子供を祝福するイエス」(マルコによる福音書10章13-16節)

 イエス様のところに子どもたちが連れて来られたときのことです。ルカによる福音書18章15節では「乳飲み子までも連れてきた」とあります。
 つまり、人々が子どもだけではなく、赤ちゃんも連れて来たということです。そのように人々がイエスさまの所に、子どもたち、そして乳飲み子までも連れてきたのは、イエス様に手を置いてもらって、祝福していただきたいと思ったからです。
 ところが、ここで弟子たちは、「子どもたちを連れて来た人々を叱った」とあります(13節)。それをご覧になったイエス様は憤られました。そして、弟子たちに「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と言われました。
 これは、単にイエス様が子ども好きだから、というのではありません。それは続くイエス様の言葉を聞くと分かります。14節の後半に「神の国は、このような者たちのものである」とあります。つまり、「神の国は、子どものような者たちのものだ」と言われます。
 これはわがままな人に対して、「あの人は子どものような人だ」という意味での「子どものような」ではありません。それは、15節にあるように「子どものように神の国を受け入れる人」という意味です。
 神様が子どものように、今あるがままの私たちを受け入れてくださる。そのことを、信頼をもって受け入れるところに、神の国はあるのです。


○2018年11月11日(日)
 金 南錫牧師「逮捕されるパウロ」(使徒言行録21章17-36節)

 パウロは神を知らない異邦人の中で、神様がどんなに力強く働いてくださり、主イエスを信じる者たちが多く起こされたかということを話しました(19節)。エルサレム教会の指導者たちは、神のなさったことについて喜びをもって賛美しました。
 しかし、彼らには気になっていたことがありました。それは、パウロがモーセの律法をおろそかにしている、と伝えられていることでした。ところが、これはまったくの誤解でありました。パウロと一緒に伝道しているテモテは、父親が異邦人であったために生まれたときに割礼を受けていませんでした。しかし、パウロはユダヤ伝道を考えて、あえてテモテに割礼を受けさせたのです(16:3)。
 パウロが否定したのは、異邦人クリスチャンがユダヤ人と同じように割礼を受けなければならないということでした。ですから、パウロがユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と教えているというのは、誤解でした。
 エルサレム教会の指導者たちは、パウロに対して、律法を正しく守っていることを示す機会を与えます。それはナジル人の誓願を立てた四名の清めの儀式に同行して、その費用をパウロが持つという提案でした。パウロはヤコブからの提案に従いました。これは、パウロが語った信仰によって救われるという自分の信念を曲げて妥協したかのように見えます。しかし、そうではありません。ここには福音によって本当に自由にされたパウロの姿があるのです。
 パウロは主イエスとの出会いによって、律法から自由にされていますが、ユダヤ人を得るために、進んで律法に従ったのです。


○2018年11月4日(日)
 金 南錫牧師「天にある永遠の住みか」(コリントの信徒への手紙二5章1-10節)
 
 「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです」(1節)。
 私たちの肉体は、自分の魂が留まるように、神様から造られた家のようなものです。ところが、この家の特徴は、時間が経つにつれ、古くなります。しかし、パウロはこの地上の住みかである幕屋、即ち肉体が滅んでも、天にある永遠の住みかが、神によって備えられていると語っています。
 パウロは、この地上の生涯が閉じられた後、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願いました。クリスチャンの歩みは、天にある永遠の住みか、永遠の命を着ることを目指して歩んでいく信仰の歩みです。
 「それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです」(6-7節)。
 見えないものに目を注いで人生を歩む者は、イエス・キリストの命、永遠の命に飲み込まれ、復活の希望の中でこの地上の歩みを為していくことが出来ます。この希望に生きる者は、天の御国を目指しつつ、「主に喜ばれる者でありたい」と願う者となります(9節)。


○2018年10月28日(日)
 芳賀 力牧師「命の満ちあふれ」(ローマの信徒への手紙5章6-11節)

 「それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです」(9-10)。
 ここに「なおさら」の言葉が二回出てきます。私たちが罪人であったときに、それでも神様が私たちをよしとしてくださった。そうであれば、神の怒りから救われることはなおさらのことでしょう。
 そして、さらに私たちが敵であったときに、それでも神が私たちと和解してくださった。そうであれば、死から救われるのはなおさらのことです、とパウロは言っています。「なおさら」それは神様の恵みをもつ勢いです。高いところから水が流れ落ちるように、神の恵みが人間の罪という不可解な反抗にもかかわらず、源泉から勢いよく流れ下るのです。神の恵みの力は人間の神に対する反抗よりも強いのです。それは、私たち人間の反抗に対する神の恵みの反抗です。
 そして、その力の方がはるかに強い。その恵みが源泉から溢れ出て、飢え渇いた魂を潤し、全世界を破滅から救うようになります。それが「命の水の満ちあふれ」です。そして、その命の水が佐倉教会にも届いているのです。


○2018年10月21日(日)
 金 南錫牧師「生きることさえも」(使徒言行録21章1-16節)

 ティルスのクリスチャンたちは、聖霊に示されて、「エルサレムに行かないように」とパウロに繰り返し頼みました(4節)。しかし、パウロは彼らを振り切って旅を続けました。
 パウロがカイサリアのフィリポの家に何日か滞在し、信仰の交わりをした時、アガボという預言をする人が来て、「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」と預言したのです(11節)。この時、パウロの同行者たちは強い衝撃を受けて、「エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」のです。
 それに対してパウロは「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」と語ったのです(13節)。
 では、なぜパウロが死ぬことさえも覚悟してエルサレムに行こうとしたのでしょうか。パウロは自分が開拓した異邦人教会から献金を募って、エルサレム教会に届けにいく使命がありました。パウロはこの献金を通して、エルサレム教会と異邦人教会が共にキリストに結ばれた一つの体なる教会として一致することを望んでいるのです。何よりも、オルガン修理の献金のことで、つまづかないようにと祈る次第です。


○2018年10月14日(日)
 金 南錫牧師「エフェソの長老たちとの別れ(二)」(使徒言行録20章28-38節)

 教会という群れは導く羊飼い、指導者が必要なのです。パウロはこう言っています。
 「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」(31-32節)。
 パウロが夜も昼も涙を流して教えてきたこととは、神とその恵みの言葉でした。
 では、その「神と恵みの言葉」とは何でしょうか。一言で言えば、先週、沢さんの奨励にもありましたように、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。
 この言葉に表された神の愛、十字架の愛を宣べ伝えるために、パウロはエフェソの教会で、三年間、一人一人に夜も昼も涙を流しつつ、教えてきたのです。愛を注いできたのです。


○2018年10月7日(日)
 沢知恵さん奨励「かかわる神」(ヨハネによる福音書3章16節)

 今日の聖書箇所は、新約聖書の中、最も大切な箇所です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。
 新島襄はここを新約聖書の富士山である。ルターは聖書の縮図である、小さき福音書であると仰いました。私たちの神様はかかわる神様です。その究極のしるしが十字架です。十字架にかかるお姿、かかわる神です。神様は私たち一人一人にかかわると同時に、私たちを通して、人とかかわろうとしてくださっています。
 私たちは器に過ぎない。私ではない。神様はきっとこんな私でも用いてくださるのだ。私たちを用いようとしています。無理することはありません。しんどい時もあります。時には、距離をおくこともかかわりのひとつかもしれません。
 今日、今週私たちは、神様のご栄光のために、イエス様の御名によってかかわっていこうではありませんか。


○2018年9月30日(日)
金 南錫牧師「エフェソの長老たちとの別れ(一)」(使徒言行録20章13-27節)

 ミレトスの港に暫く停泊したパウロは、どうしても伝えたいことがあるということで、エフェソ教会の長老たちを呼び寄せました。そして、その長老たちに対して語った説教が、18節以下に語られています。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話しました。
 「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」(18-19節)。
 パウロはへりくだって、涙ながら、試練に耐えつつ、キリストに仕えたのです。
 パウロはかつて、神を冒涜するキリストを信じる人々や教会を迫害することが、神に喜ばれることだと思い込んでいました。ところがある時、パウロは突然、「天からの光」に撃たれました。
 「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」。「主よ、あなたはどなたですか」。「わたしはあなたが迫害しているイエスである」。
 これがサウロ、即ち、パウロの回心を引き起こしたのです。パウロは、生きておられる主イエスに出会いました。そして、神が与えてくださった異邦人伝道の使命を果たす者とされたのです。
 人間は、パウロのように「主よ、あなたはどなたですか」と上を見上げる時、生まれ変わり、使命が与えられ、力強く生きることができます。たとえどんなに弱く、惨めな人であっても、この私のために、十字架の上で尊い血を流されたその十字架の愛を見上げることによって、本当の自分を見出して生まれ変わり、全きへりくだりをもって、生きることができます。


○2018年9月23日(日)
金 南錫牧師「パウロとエウティコ」(使徒言行録20章1-12節)

 パウロはエフェソでできた主の弟子たちを呼び集めて御言葉によって励まし、別れの挨拶を告げてからマケドニア州へ向かって出発したのです。「そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした」とあります(2、3節)。
 パウロはマケドニアに滞在し、おそらくフィリピからテサロニケ、べレアと、かつて第二伝道旅行に彼が開拓した教会を通って、人々を励ましたと思います。そして、その後、コリント教会を訪問し、そこで、3か月共に過ごし、教会を指導したり、励ましたりしたのです。
 しかし、使徒言行録は詳しいことを語らず、その様子をただ「言葉を尽くして人々を励ました」とだけ述べています。パウロが人々に会って、言葉を尽くして励ましたその「言葉」の内容は、すべての人の罪のために、代わりに十字架に架かって死に、三日目に復活されたイエス・キリストこそ、救い主であることを話したに違いありません。
 この神の言葉に励まされ、慰められるものであることが、7節以下の出来事を通して、具体的に語られています。主の初めの日、その日の集会はあまりの多くの人が集まったため、座る場所がなかったエウティコという青年が、3階の窓のところに座って御言葉を聞いているうちに眠ってしまい、落ちて死んでしまったのです。
 しかし、パウロは落ちて死んでしまったエウティコのところへ降りて行き、彼の上にかがみこみ、抱きかかえて「騒ぐな。まだ生きている」と言ったのです。何がどう起こって、どう展開したのか、聖書の記録からも私たちは分かりません。要は、死んだエウティコが生き返ったということなのです。
 このことで聖書は、12節に「人々は…大いに慰められた」と記しています。エウティコが生き返ったことで、教会に集まった人々は、大いに慰めを受けたのです。教会はいつも神の慰めにあふれる場所です。


○2018年9月16日(日)
 金 南錫牧師「エフェソでの騒動」( 使徒言行録19章28-40節)

 パウロは、約三年間、エフェソの町に滞在して伝道をしました。ところが、パウロたちの伝道に対する一つの騒動が起こりました。23節に「そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった」とあります。
 ここに出てくる「この道」ということは、父のもと、天国に至る唯一の道であるイエス・キリストを信じる信仰のことを言い表しています。その結果、デメトリオとその仲間の職人たちが危機感を覚えて騒動を起こすほどでした。
 なぜなら、「デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた」(24節)からです。デメトリオの扇動によって多くの人々が騒ぎ出し、町中が混乱してしまいました。
 「彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ」(29節)のです。集会の混乱の有り様は「さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」(32節)とある通りです。
 教会は、本文のエフェソの人々の集会のような「あれやこれや」とわめきたて、何のために集まったのかさえ分からないようなものとは違います。それは、私たちが主イエス・キリストによって開かれ、示された父のもと、天国に至る唯一の道を共に歩んでいくからです。
 信仰とは、「あれやこれや」ではなく、「あれか、これか」の決断であります。


○2018年9月9日(日)
 山田称子牧師「不信仰のわたしを」(マルコによる福音書9章14-29節)

 イエス様が山に登っておられた時、残っていた弟子たちに、ある者が息子にとりついた悪霊を追い出してほしいと願いましたが、出来ませんでした。
 その父親はイエス様に、「おできになるなら」とお願いします。そして「できればと言うか」と問われると、すぐさま「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫びました。
 常日頃から主を信じますと告白していても、ここぞという時、主に全幅の信頼を置くことの出来ない私たちの姿があります。なぜでしょう。
 私たちの「信じます」と告白できずに揺らいでしまう信仰の姿勢。この様な私たちの姿を主はご存じです。イエス様は忍耐し続けて待っておられます。「ここに私がいる、私を信じなさい」と愛し続けてくださいます。
 イエス様は言われます。「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことは出来ない」と。
 「祈る」という特権をあたえられた私たちは、どなたに向かって祈っていますか。そのお方に全幅の信頼を寄せ、祈りを重ねましょう。


○2018年9月2日(日)
 金 南錫牧師「主イエスの名」(使徒言行録第19章11-27節)

 パウロがテントづくりの仕事の場で身に着けていた手ぬぐいや前掛けを病人に当てると、病気が癒され、悪霊が追い出されました。ところが、悪霊を追い出しているのを見たユダヤ人の祈祷師たちは、イエスという名前に特別な力があるのではないか、と思いました。それで、試しに「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言って悪霊を追い出そうとしたのです。
 彼らは、主イエスの名を信じることなしに、自分のためにその名を利用しようとしたのです。すると悪霊が彼らに言い返しました。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ」(15節)。彼らは自分が何者であるかを答えることができませんでした。
 クリスチャンはイエス・キリストに属しているものです。もし私たちも「いったいお前は何者か」と問われたら、主イエスのもの、キリストのものであるとはっきり告白し、主イエスの名があがめられるお互いになれますよう、お祈りします。


○2018年8月26日(日)
 金 南錫牧師「聖霊を受けましたか」(使徒言行録19章1-10節)

 エフェソを再訪問したパウロは、そこで何人かの弟子に会いました。その人たちの人数が「12人ほどであった」とあります(7節)。
 パウロが初めに会った彼らは、主の弟子だと言いますが、パウロから見ると、彼らは聖霊を受けた人のようには見えませんでした。それで、パウロは彼らに「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と尋ねたのです(2節)。つまり、あなたたちが主イエスを信じるならば、あなたたちの中に聖霊があるはずなのに、なぜあなたたちの生活の中に聖霊の姿が見えないのですか、という意味でした。
 パウロの質問に対して、彼らは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました(3節)。それで、パウロは彼らに「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、彼らは「ヨハネの洗礼です」と答えたのです。
 ヨハネの洗礼とは、洗礼者ヨハネがヨルダン川で、罪の赦しを得させる悔い改めを叫んで、洗礼を授けたことを指しています。
 そこで、パウロは彼らに洗礼者ヨハネが述べ伝えた救い主イエスについて説明しました。彼らはこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けたのです(5節)。
 パウロが洗礼を授けるために、彼らの上に手を置くと、彼らに聖霊が降りました(6節)。ヨハネによる洗礼しか知らなかった彼らは、主イエスの救いを得るためには、なんの努力もしなかったにもかかわらず、一方的な神の恵みによって、聖霊を通して救われたのです。


○2018年8月19日(日)
 金 南錫牧師「アポロのエフェソ宣教」(使徒言行録18章24-28節)

 詩編90編10節に「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります」とあります。モーセは、人の人生は短いと言っています。
 しかし、その短い生涯であっても、モーセは、14節に「朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください」と祈っています。モーセは、自分の人生のすべてを神の慈しみ、恵みに委ねました。
 人は自分の力で生きているように錯覚しています。しかし、ただ神の慈しみ、恵みによって生きているのです。
 アレクサンドリアで生まれ、育ったアポロは学識のあるユダヤ人でした。それだけではなく、彼は聖書、即ち旧約聖書に詳しい雄弁家でした。しかし、アポロが知っていることは洗礼者ヨヘネの洗礼だけでした。
 「このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した」(26節)。プリスキラとアキラというクリスチャン夫妻は、コリントからパウロと一緒にエフェソに来て、パウロが去った後もそこに留まっていました。そして、アポロが教えていることを聞いて、彼らは神の道を「もっと正確に」説明したのです。
 神の道とは、神の愛、十字架の愛です。神様は私たちのために、私たちが生まれる前から独り子をこの世に送ってくださったのです。その独り子イエス様は十字架につけられ、私たちの罪のために、死なれました。その主イエス・キリストによって、私たちは救われたのです。私たちの代わりに死んで贖ってくださり、私たちを救ってくださいました。
 その十字架の愛、神の愛を、アキラ夫妻は、ヨハネの洗礼しか知らなかったアポロに、もっと正確に、丁寧に説明したのです。


○2018年8月12日(日)
 安藤博子牧師「立ち上がって、行きなさい」(ルカによる福音書17章11-19節)

 ある村の道は10人の重い皮膚病を患った者には絶望の象徴でした。この病の者は村人との接触を禁止され、居住地から追い出されます。ですから、道が境界線のように思えるのです。
 その道で10人は主イエスと出会います。主は見て、彼らを憐れます。癒されることを懇願した10人は主のお言葉に従い、祭司の元へ向かいます。その途中の道で奇跡が起こりました。全員の癒し。絶望の道が、希望の道となり、更に「救い」への分かれ道となります。
 一つは主イエスから離れる道。9人は喜ぶが、早く祭司のもとに行き、日常の生活に戻りたかった。神様への感謝は第一優先ではない。主イエスに背を向け、離れていく道は救いからも離れるのです。
 もう一つは主イエスに戻る道。一人のサマリア人は、主イエスを通して、生きて働いてくださった神様への感謝の応答をしたくて、賛美しながら戻ります。これが信仰です。主なる神様に感謝し、神様を神様とあがめることです。
 「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と主イエスは彼を祝福し、罪赦されて神様と生きる新しい命を与えます。「立ち上がって行く」とは、新しい命にふさわしく生きるようにとのことです。彼は癒しと共に救われたのです。
 私たちもまた「10人」と同じ不治の病にいました。罪人という病人。主イエスは私たちのために十字架について、その病を一人で負い、その代わりに、私たちを癒し、信じる者を救い出して下さいました。だから、私たちは今、罪赦されて、主と共に生きるものとされているのです。
 礼拝をお献げするとは、神様に感謝し、真の神様を神様とすることです。あの道は私たちにとって、どこにあるのでしょうか。十字架が示す教会に続く道です。毎週礼拝をお献げするために通る道。主はそこで「10人」全員が戻ってくるのを毎週待っておられるのです。


○2018年8月5日(日)
 金 南錫牧師「神の御心ならば」(使徒言行録18章12-23節)

 コリントを出発したパウロは、船でアジア州のエフェソに赴きます。この旅にはコリント伝道でパウロを助けたアキラ夫婦も同行しましたので、パウロは心強かったと思います。19節にあるように、エフェソに到着すると、パウロはまず会堂に入って福音を語り始めました。パウロから初めて福音を聞いて受け入れた人々は、もうしばらく滞在するように願いました。ところが、パウロはその願いを断り、「神の御心ならば、また戻ってきます」と言って、エフェソを旅立ってしまうのです。
 パウロは常に神の御心を第一にし、生きていたのです。エフェソの人々はパウロに自分たちと一緒にいて欲しいと強く願いながらも、こう言って去っていくパウロを引き止めることは出来なかったのです。パウロはこのように、神の御心に、自分の歩みを委ねているのです。神の思いやなさることは、私たちの思いをはるかに超えています。
 だからこそ、私たちは御言葉や、祈りを通して、神の御心が示されることを求め、神のご意志に従うことが出来るように願わなければならないです。


○2018年7月29日(日)
 金 南錫牧師「コリントで」(使徒言行録18章1-11節)

 「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ねた」とあります(1、2節)。
 パウロのアテネでの伝道は実り豊かではありませんでした。ところが、パウロをコリントに導いた神様はパウロとアキラ夫婦を出会わせることによって、彼のコリントでの働きを支えてくださったのです。当時、コリントで開かれた最大の祭りは、4年毎に行われていた古代のオリンピックとは別に、一年おきにコリントの近くで行われたイストミア競技会でした。競技会が開かれると、コリントには参加する選手や観光客でいっぱいになりました。当時、宿泊施設が整っていなかったので、彼らはすべてテントを仮住まいとして使用しました。テント作りのアキラ夫婦はこのイストミア競技会特需を狙い、コリントに移住したのです。
 広大なローマ帝国の中、このコリントで、パウロとアキラ夫婦の出会いは神の導きであり、時間と空間を超えたまさに驚くべき恵みだったのです。


○2018年7月22日(日)
 金 南錫牧師「アテネで」(使徒言行録17章16-34節)

 「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」(16節)。パウロはアテネが他の町よりも深刻な偶像の町であることを自ら確認し、憤慨しました。原文には「パウロの中にある霊が憤慨した」と記されています。つまり、パウロの中におられる聖霊の神様が憤慨したということを、パウロが感じたという意味です。
 私たちが住んでいるこの世の中は、2000年前にパウロが訪れたアテネと、少しも変わっていません。世の中にはお金という偶像が中心になっているようです。お金という偶像の前に倫理も、人間関係も、親子関係も、正義もどんどん失われていきます。そのような世の中ですが、キリストの救いを信じる私たちは、はたしてパウロのような霊的な憤りを持っているでしょうか。アテネと同じような状況の中で、もし、霊が刺激され、霊的な憤慨を感じながら生きていくということはパウロのように、自分のうちにある聖霊が、神様の前で生き生きとして生きていくということを意味します。
 クリスチャンは真の神に仕える者です。この世に対して霊的な憤慨を感じられる人だけが、目に見える世を超えて、目に見えない神の国を見ることができます。この世に対して霊的な憤慨を感じられる人を通して、いつも神の御心が成し遂げられる理由が、ここにあります。


○2018年7月15日(日)
 金 南錫牧師「ベレアで」(使徒言行録17章10-15節)

 パウロの働きをねたむユダヤ人たちのために、パウロとシラスはテサロニケの町を去らざるを得ませんでした。彼らが向かった先は、テサロニケから西へ80キロほど離れたべレアという町でした。10節の後半に「二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った」とあります。会堂に入ったパウロは、聖書を引用して説き明かした救い主が、必ず苦しみを受け、死者の中から復活される。その方こそナザレのイエスであると証しました。
 11節に「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」とあります。べレアのユダヤ人たちは、パウロが語った言葉をもう一度自分で、果たして聖書がそのように語っているかどうか、調べていたのです。
 私たちは聖書を調べることに怠ってはいけません。知っているような、知らないような曖昧な知り方ではなく、「私は知っている」とはっきりと言うことができる者でありたいです。さらに、べレアの人たちは聖書の教えをはっきりと知るために、「毎日」聖書を調べていたとあります。気まぐれで聖書を開いて調べていたのではなく、日々の生活の中でいつもの習慣のように聖書を調べていた、ということです。


○2018年7月1日(日)
 金 南錫牧師「テサロニケで」(使徒言行録16章35節-17章9節)
 フィリピの町から出たパウロとシラスは、150キロを歩いて、テサロニケに到着します。パウロはいつものように、ユダヤ人の会堂で「三回の安息日にわたって」聖書を引用して、ユダヤ人とメシアについて論じ合いました。パウロの伝道の結果、多くの人がイエスを主と信じました。4節に「それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った」と記されている通りです。
 しかし、ユダヤ人たちは、ユダヤ教の会堂に救いを求めて集まっていた「神をあがめる人々や貴婦人たち」が、キリストを信じるようになったので、それをねたみ、パウロたちを排斥する行動をとりました。彼らは広場からならず者を雇ってヤソンの家を襲い、民衆の前にパウロとシラスを引き出そうとしました。しかし、残念なことに、彼らはパウロとシラスを見つけ出すことができなかったので、かわりにヤソンを捕らえて、町の当局者たちに連れて行きました。
 ヤソンはイエス・キリストを信じて一か月も経たないうちに、パウロたちをかくまっているということで、迫害を受けます。しかし、ヤソンは迫害を受けながらも、希望を持って忍耐していました。彼はこの苦しみから逃れることができましたが、あえて、苦難の道を選んだのです。ならず者や町の当局者たちが求めていたのは、パウロとシラスでした。ですから、パウロとシラスがどこにいるかを教えさえすれば、迫害から逃れることができたのです。
 しかし、ヤソンはあえて、パウロがいるところを教えませんでした。なぜでしょうか。自分たちに福音を伝えてくれたパウロたちのために祈っていたからです。何も言わずに、連れて行かれ、裁判を受けると、パウロたちが逃げる時間を得ることができたからです。ヤソンの涙の祈りがあったから、テサロニケ教会が立てられたのです。
 クリスチャンの使命は涙の祈りにあります。教会のために、涙の祈りを捧げたことがあるでしょうか。


○2018年6月24日(日)
 金 南錫牧師「真夜中に歌われる賛美」(使徒言行録16章16-34節)

 先週に引き続き、今日の話はフィリピという町での出来事です。16節に「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた」とあります。人々はお金を払って、この女の語ることを聞いていました。
 ところが、この占い女は奴隷の身分でしたから、彼女が得た報酬はほとんど彼女を雇った主人たちのものとなっていました。しかし、パウロが彼女を支配している霊に向かって「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と命じると、即座に、霊が彼女から出て行ったのです。
 彼女の占いを用いて利益を得ていた主人たちはパウロとシラスを捕らえ、町の高官たちに引き渡します。高官たちはちゃんと調べもせず、二人を鞭打ってから、牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じました。パウロとシラスは牢に入れられ、足かせまでもはめられていました。ところが、その真夜中、他の部屋にいる囚人が聞くほど、大きな声で神様を賛美しています(25節)。
 パウロの状況から見ると、神様を恨み、不平不満を言うしかない状況でした。しかし、パウロは神を賛美しました。私たちがパウロと同じような状況に置かれた場合、どうなったのでしょうか。神を賛美することができたのでしょうか。


○2018年6月17日(日)
 金 南錫牧師「主が心を開かせる」(使徒言行録16章11-15節)

 港町トロアスで幻を見て、神の御心を確信したパウロたちは船で、マケドニアに渡り、フィリピの町へ行きました。この町はローマの軍隊を除隊した兵士たちを中心にして造られた町です。ですから、ユダヤ人がいなかったようです。
 ところが、町の外にユダヤ人が集まる祈りの場所がありました。そこには婦人たちが集まっており、パウロはその婦人たちに向かって話をしました。その中にリディアという婦人がいたのです。彼女は異邦人でしたが、神をあがめる人、即ち、真の神を求める求道者でした。ですから、彼女は礼拝する安息日に、女性たちが祈るために集まる場所に行きました。
 14節に「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」とあるように、主がリディアの心を開いてくださったので、彼女はパウロの話を注意深く聞いたのです。パウロは自分が語るキリストの福音を熱心に聞くリディアの姿を見たとき、嬉しかったと思います。そして、彼女に出会わせるために、神はフィリピの町に導かれたと思い、主に感謝し、喜びながら、福音を語ったと思われます。彼女の心は開かれ、イエスを自分の救い主として、喜んで受け入れました。
 イエス・キリストを信じたリディアは、すぐに公に信仰の証として、洗礼を受けました。そして、その家族の者も洗礼を受けました。彼女は洗礼を受けると、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」(15節)と言って、パウロたちを招いたのです。洗礼を受けたリディアは神の御用のために、家を解放しました。これは、神に仕える喜び、姿勢がなければ、出来ないことです。
 このリディアの「家の教会」からフィリピの教会が開かれ、主の業に仕える教会となりました。「主」が心を開かせるのです。開かれた心をもって、キリストの霊である主イエスを受け入れましょう。


○2018年6月10日(日)
 金 南錫牧師「幻を見ながら」(使徒言行録16章6-10節)
 シラスと共に二回目の伝道旅行に出発したパウロは、リストラでテモテという協力者を得て、さらに西に向かって進みました。そして、ビシディア州のアンティオキアあたりまで来ました。ここから更に西に進むと、アジア州の最大の都市であるエフェソに至ります。ですから、当初パウロは人の多いエフェソに行って、開拓伝道をしようと考えていたのです。そして、そのエフェソを拠点にして、そこから周辺に向かっていくというやり方です。
 6節に「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」とあります。人がたくさん集まる都市に行って、拠点をつくり、それから地方に行くという方針は聖霊によって拒否されました。聖霊に禁じられて、パウロが向かった先は、ガラテヤ地方でした。そこでは小アジアの内陸部でユダヤ人が少なく、都市化が遅れ、人口も少ない「地方」でした。しかし、ここでパウロは人の優しさや助けを受けながら、また、豊かな自然に触れ、伝道者として生きていく、そういう道に連れて行かれたのです。
 パウロは元気になって、また、伝道の旅に出かけます。「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った」(7節、8節)。聖霊は再び、パウロの行く道を塞ぎ、北の方のミシア地方に連れていきます。ここも人が少ない地方でした。そしてパウロたちが最後に辿り着いたのは、トロアスという港町です。ここで、パウロは「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けて下さい」という幻を見ます。
 聖霊から禁じられて、パウロは弱さ、行き詰まりを経験しました。しかしその弱さの中で、パウロは幻を見ながら、力を得ていきました。パウロが歩んでいる道には、いつも神がともにおられたのです。


○2018年6月3日(日)
 金 南錫牧師「パウロとペトロ」(使徒言行録16章1-5節)

 エルサレムで開かれた教会の会議で、キリストを信じて神に立ち帰る異邦人に「割礼を要求してはならない」という決着がつきました。この会議の決定事項が書かれた手紙を携えて、パウロとバルナバは再び伝道旅行を計画しました。ところが、今回の伝道旅行ではパウロとバルナバの間に激しい意見の対立が生じます。それは、第一回目の伝道旅行で途中離脱したマルコを、今回の旅行に同伴させるかどうかについての意見の違いによるものでした。
 バルナバはこれからの伝道旅行にマルコを連れて行きたいと思いました。しかし、パウロは伝道旅行の途中に帰ってしまった者は「連れて行くべきでない」と主張しました。結局、パウロとバルナバは別々に伝道の旅に出ることになりました。
 1節、2節に「パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた」とあります。リストラに着いたパウロはそこで若き伝道者テモテと出会ったのです。「彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった」(2節)。テモテは教会の皆から尊敬を受けるほど評判の良い人でした。もしそうでなければ、パウロはテモテを選ばなかったでしょう。
 パウロは伝道のために、テモテを一緒に連れて行きたかったのです。ところで、パウロはこのテモテを連れていくに当たり、「彼に割礼を授けた」のです(3節)。けれども問題はエルサレム会議での決定事項は、救われるためには割礼は必要ないということでした。それなのに、なぜテモテは救いのためには必要のない割礼を受けているのでしょうか。それは、これからユダヤ人に対する伝道において、ユダヤ人を得るためでした。また、父親がギリシア人なので、異邦人伝道のためにも、まさにテモテは適任者でした。
 神はそのようなテモテを、パウロの第二回目の伝道旅行の最初のところで与えてくださったのです。神様はいつでも、共に働く人を備えてくださいます。それは、マルコがいなくなった時に、テモテが備えられたのと同じです。神様はご自分の御用のために、必ず協力者を備えてくださるのです。教会の交わり、それはこの協力者としての信仰の交わりでもあります。
 私たち一人ひとりが、互いに支えながら、祈り合う協力者となりますように、そしてそのことが佐倉教会全体を強めて、あなたの教会となっていきたいのです。


○2018年5月27日(日)
金 南錫牧師「主の恵みに委ねられて」(使徒言行録15章30-41節)

 「彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ」(31節)。とあります。アンティオキア教会は、エルサレム会議の決定を自分たちに対する「励まし」として受け止めたのです。手紙の中に記している「割礼など律法の行いではなく、主イエスの恵みによって救われる」という内容が大きな励ましになったでしょう。
 続いて、32節に「ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけた」とあります。エルサレム教会は、単に決定事項を書面で伝達するだけではなく、ユダとシラスを選んでアンティオキア教会に派遣したのです。アンティオキア教会にとっては派遣されたこの二人といろいろ話をして、励まし力づけられたことも、大きな励ましになったに違いありません。この「励まし」という言葉は、「慰める」という言葉にも訳すことができます。アンティオキア教会の人たちはエルサレムからの手紙を読んで、励まされ、慰められました。
 「慰め」という言葉を聞く度に、思い出す問いがあります。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」という問いです。この問いは「生きているときもしぬときにも、あなたを支えるものは何でしょう」という、生きる勇気であり、死に際の確信を問うているのです。
 この問いに対して、ハイデルベルク信仰問答は、こう答えます。「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです」。このことに気付かされた時に、はじめて本当の慰めが生まれて来るのです。生きる意味と勇気を与えてくださるのです。


○2018年5月20日(日)
 金 南錫牧師「聖霊とわたしたち」(使徒言行録15章12-29節)

 ペトロは、ユダヤ人が恵みによって救われるのとまったく同じであるように、異邦人も、「主イエスの恵みによって救われる」と主張しました(9節)。そのペトロの発言を受けて、バルナバとパウロは自分たちが目撃した異邦人の救いについて証しました(12節)。しかし、エルサレムの使徒会議の結論はパウロたちの意見だけではまだ決定しませんでした。最後に発言したのは、主イエスの兄弟であるヤコブでした。ヤコブは、ユダヤ人クリスチャンが中心であるエルサレム教会の指導者です。だからどうしてもユダヤ人的な考え方が出やすいわけです。
 ところが、ヤコブの主張はそれとは反対でした。ヤコブはアモス書9章11節以下を引用して、ユダヤ人、異邦人を分け隔てなく、すべての人を救うのが神の御心であることを会議に集った人々全体に伝えたのです。そして、19節にあるように「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」と判断します。ところが、20節で「ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです」と付け加えます。
 この四つの項目の禁止を、「使徒規定」と呼ばれて、29節にも同じことが書かれてあります。しかし、ヤコブはこれらのことを救いの条件として命じているのではありません。むしろ、キリストを信じて救われた異邦人が、ユダヤ人クリスチャンをつまずかせないための愛の配慮として命じているのです。
 

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